Oli Oli

日々のつれづれ

新緑が眩しい季節にやさぐれる

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一年のうちで一番大好きな季節が始まりました。

日の出の時間が早くなり、気温も上がって新緑が眩しい季節。町の緑はもちろん、山はもりもりと盛り上がるように緑がせり上がり、新緑の濃淡が美しい。全てが輝くようなとき。

夏も大好きですが、4月中旬から5月中旬までの季節が一番好きかもと最近気づきました。まあ、来月の半ばに誕生日を迎えるということもあり、自分の誕生月って誰でも一番好きなのかも知れませんね。

そんな美しく大好きな季節ですが、、、、気分はやさぐれています。笑

なんでだろーそういうバイオリズムなのかしらん。段々と良くなっているとは言え、更年期鬱真っ最中のわたくし。大波小波、波だらけ。

カラッと晴れると気分も上々…のはずなのですが、晴れるにつれ焦りのようなものが湧いて来て不貞腐れた気分になってしまいましたとさ。

ここから先はかなりのダークモードです。読みたくない人は即刻閉じて、他のブログに移りましょう。建設的なことは何一つ書いてありませんので。

 

 

原因のひとつは、、、、もうこれも鬱と同様どうしょもないのですが、『友達がいないこと』ですかね〜

友達がいないって語弊があるかな。いることはいるけれど、それほど仲の良い友達はいないってことです。地元には特に。いないんですねえ。。。それはわたしの性格がとっても悪いから。ああ、自爆。

性格が悪いゆえ、友達ができない。貧乏ゆえ、お誘いも断ざるを得ない。アラフィフの孤独は目も当てられませんね。

そう思い始めると、どんどん思考のループに入ってしまいます。悪いループね。自己否定、自己嫌悪の泥沼。

こんなに良いお天気なのに、一緒に楽しもうと思える友達がいない。

思い返せば、わたしが親友だと思っていた友達にはことごとく裏切られて来たなあ。わたしが幸せにならないように影でいろいろ工作していた子もいたし、利用するだけ利用して私がそれに気づき反撃すると手のひらを返したように音信不通になるとか。

そんな目にあうのも、わたしの性格が悪いからなのでしょうか。。性格に欠陥があるからなのかな。

その当時濃かったわたしの交友関係やわたしの車を利用するだけ利用して去って行った子には相当ひどいことをされて来てまして、それに気づいてその悪行を周囲の人に言いまくってしまったんですね。

そうするとわたしも同じことされた!とか、こんなことされた!っていう子がちらほら現れて。

でもね、最終的にはわたしが孤独になり、その子はたくさんの友達に囲まれて自分の夢を叶えて行ってるんですよ。

これ、なんなんでしょうね。

人を呪えば穴二つってことなんでしょうか。

どんなに悪行を訴えても、それをされていない人には信じられないし、それをされていないから「あの子はわたしのソウルメイト」とか言って、すっごく仲良くしてる。いつもその子の周りにはたくさんの友達がいるんです。

これ、なんなんでしょうか。

わたしにはわからない、人としての魅力が溢れているんでしょうね。

わたしにはない、人としての魅力があるんでしょうね。

わたしには、ない。

ないから、友達がいない。

その悪行を言いふらしたせいで、どんどん友達が減っていき、今に至ります。当たり前か。ほんとわたし、性格最悪なんですよ。でも本当に悔しかったの。

ひどいこと、色々されたんですよ。本当に本当に、悔しい。

もう過ぎ去ったことだから、もう終わったことだから。

でもたまに、こんなふうに思い出して、苦しくなってしまうんですね。

凡人で器の小さな臆病者で怠け者でなんの取り柄もないのがわたし。

他人の自分に対する態度はそのまま、自分の他人に対する鏡だと言います。確かにそうかも知れない。

 

もうすぐ世間は10連休ですね。わたしは関係なくいつも通りに働きます。それでもこの連休期間はいろんなイベントが目白押しで、引きこもりネガティブなわたしですらちょっとワクワクしてしまいます。

ワクワクしたところで、行ける金銭的な余裕も経済的な少しの豊かさも持ち合わせていないので指をくわえて見ているだけです。行きたいイベント、あれもこれもある。最近はそのイベントもメジャーになってしまって、県外からたくさんのオサレ人間たちが訪れる。中にいる人たちは変わらないけれど、来る人たちが年々オサレで意識高い系になっていてなんだかなーっていうのは負け惜しみでしょうか。

行きたいけれど、一人で行ってもつまらないし、かと行って一緒に行くような仲の良い友達は一人もいないのです。ああ。そんなわたしになってしまったよ。驚き。モモノキ、さんしょの木。

アラフィフ、おひとりさま。それはわたし。

もうすぐ誕生月がやって来ます。誕生日がやって来るけれど、今年も一人なんだろうな。どうせ仕事だし。

両親は認知症なのでもちろん祝ってはくれません。もう何年もそう。恥ずかしながら、息子もそうです。スルー。覚えてないっていうか覚えようともしてません。

友人には、自分の誕生日に全然重きを置いていない人が数人います。その人たちは他の面で人生が充実して満たされてるから、必要ないんでしょうね。。

ぼっちの誕生日。誰からも祝われない、そんな誕生日が何年も続くとかなりこたえます。わたしだけかなあ。

基本的に一人が好きなんですけど(好きなんじゃん!笑)、一人くらいは仲の良い友達が欲しいとは思います。ロマンなのかなあ。

精神的に幼いのでしょう、わたしは。この歳になっても。

この歳になってこんな思いを抱いて、こんなわたしになっているなんて、若い頃は思いもしなかった。

人生、なんとなく生きてちゃダメですよ。

意識を持って、意思を持って生きなくちゃ。

今からでも遅くはないかな。

死ぬその日まで最後まであがいてみようかな。

一生懸命生きたって、満足してこの世におさらばしたいよね。

せめて、死ぬまでに、誕生日を率先して祝ってくれるような友達やパートナーが欲しいなと思う。認めましょう、孤独なわたしは、誕生日を祝って欲しいのです。盛大に。これは実は子供の頃からの夢であります。

両親はわたしを愛してくれましたが、誕生日を大切にはしてくれませんでした。誕生日だけでなく、世間体をすっごく気にする人たちで、世間から批判や非難を浴びるのであれば、我が子でさえも差し出すようなそんな心持ちの人たちでした。

わたしの誕生日はいつもないがしろにされてきました。ちゃんと祝ってもらった記憶がない。子供の頃の刷り込みは大人になってからも鎖のように絡みつき、なぜだか付き合った人、結婚した夫にさえわたしの誕生日は軽く扱われました。

わたしの願いは、わたしの誕生日を心から祝って欲しい。

わたしが生まれて来てよかったんだと、この世に生まれてありがとうと、おめでとうと手放しで祝ってもらいたい。

他人に評価を求めすぎるわたしがオカシイんでしょうかね。

ああとってもネガティブモードです。

まあそんなときもあるさよね。

今年の誕生日

どうなるのかな

また去年と同じで孤独と寂しさに無理やり耐えて、自分自身を呪うのだろうか。

あ、祝うと呪うって紙一重ね。

わたしはいつも紙一重で呪ってる。

祝う人生に変わりたいものであります。