Oli Oli

日々のつれづれ

父と毒ガス

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昨日は終戦記念日で、子供の頃は今くらいの時期には戦争に関するテレビ番組をどのチャンネルでもこぞって放映していましたが、今では本当に少なくなりました。

夏休みのお盆の時期って、独特の空気感を子供ながらに感じて妙に心に残っています。

あれは何歳の頃の、どこの神社だったのか。大きな神社の夏祭り、立ち並ぶ屋台の光も届かないような境内の片隅、薄暗がりの中に片脚のない傷痍軍人が物乞いをしていました。自らを見世物に、何かを太い筆で書いた小さな看板みたいなものを立て、通り行く人々にお金を貰っていました。

その存在感は強烈で、そこだけ異空間だった。

戦争が終わって数十年経っているのに、そんな人がいたなんて今思うと不思議でならないのですが、想像するに、お祭りがあるとそういう格好をして行うことで何かを伝えたかったのかもしれません。後付け記憶かも知れませんが、その人からは強い強い怒りが発散されていたように思います。

 

戦争は昔起こったことで、自分には関係ないことと思っていましたが、そうでもありませんでした。

両親には兄弟姉妹がたくさんいて、父の兄は兵隊として戦争に行ったのだそうです。どこでどんな戦いをしたのか聞いてみたいと思っているうちに、鬼籍に入りました。

父は学生で理系の勉強をしていたせいか、都内にあった毒ガス製造工場で働いたそうです。働いていた隣の建物が爆発するか空襲にあって命拾いをした、という話をしていました。

父は数年前、眠っている間に”いつの間にか骨折”で背骨(胸椎)を折り、救急車で運ばれて入院しました。

今はもう治って元気ですが、入院中に認知症がひどく進行し、介護度3と認定され、色々な出来事があり、今は施設に入居しています。

骨折を診察した医師がひどく驚いていたのは、父の骨が男性にしては異例なほど脆くなっているということでした。骨密度が同年齢の女性よりも悪い。骨がスッカスカ。

父は好き嫌いなく3食しっかり食べていたし、活動的だったので意外でした。ふと思いついたのが父が毒ガス製造に関わっていた、ということ。

毒ガスを作っているときに防護マスクを着けますが、確認するためなのか、興味本位なのか、ホントはやっちゃいけない『毒ガスをちょっと吸う』ことをしていた。

私が医師にそのことを伝えると、父は懐かしそうに、なぜか得意そうに、『ちょっと吸うんだよ〜笑』と話し始めました。医師はそれが原因の一つになっているかもしれない、という無難な答え。そりゃそうだ、今となっては分からない。

けれど私は思うのです。

マスクを着けていたにしろ、『ちょっと吸い』をしていたにしろ、毒ガス製造の現場にいたのですから身体に影響がないわけない。

兄の喘息や私のアレルギー体質も、もしかしたらそれが影響しているのかも知れません。

 

先日はニュース番組の特集で、戦争に兵隊として行った方が体験したことを話していました。その方の上官は、戦地で妊婦の腹を裂き、赤ん坊を引きずり出したのだそうです。単なる興味で。

日本人は酷いことしたよ。そういうことをした人が、今は誰かのおじいちゃんになっている。

しみじみ語ったその方の言葉が重い。

戦争というものは人を狂気に駆り立てる。外国との戦いだけでなく、国内の戦でも強奪、殺人、レイプが横行しました。戦争とはそういうもの。

日本だけが酷いことをしたのではなく、あの戦争に参加した国の兵隊たちは酷いことをしました。戦地で酷いことをした人が、誰かのおじいちゃんになっている。

父の作った毒ガスはどこで使われたのでしょう。

戦争はもう終わったこと、遠い昔のことではなく、人の中に今も続いているのだと思いました。