Oli Oli

日々のつれづれ

いいこと日記に救われる

昨日は疲労MAXで氣が抜けてダダ漏れ

体がそうだと心も沈みまくりでダラダラと過ごす苦しい1日でした。なんの意味もない一日、不毛な一日。鬱々再発っぽくてうんざり。薬に頼らなきゃいけないのか。。

眠る前に再開したほぼ日に心の丈を書きなぐり、最後に日付の横のスペースに「いいこと日記」を書きました。

今日、良かったこと、有難いなあと思うこと、嬉しいと思うこと、何かあるかな〜と思いを巡らせるとスイッチがパチン!と変わります。 

重苦しい心はそのまま在るけれど、ちょっとした「いいこと」を考えると次々に「いいこと」が思い浮かんでくる。それは昨日と変わらないことだったりするのけれど、いいじゃない。昨日もこれが嬉しかった。今日もこれで嬉しいなんてラッキーだよ。 

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嬉しいことを数え上げ、当たり前のことが実はとても有難いことに気づく。

そしてもう親を許そうと思った。わたしはもう自由にしていいんだよね。

わたしの両親は、立派な人じゃなかった。人としてとても未熟な人たちだった。親だけれど、未熟だったんだよ。未熟な彼らは必死で大変だったんだよ。

世間一般の『親とはこういうもの』という幻想から離れる。

わたしの親は未熟だったし、人格者ではない、ってことを受け止める。そう決めて心が強くなると、体に絡みついていた親の呪縛がボロボロと落ちていくような気がしました。

自分の足で立てるのか、オマエに出来るはずがない、あんたになんか良い人は現れない。一生独身だよ!

勢いに任せて言ったのであろう親の言葉がわたしを縛る。いんや、縛るのではなく、わたしから縛られていたんだなあ。アホか。

今でも竦む。でもそれだって幻想だ。強烈な母の言葉に傷つくが、親として人として未熟な母であったと思うと、可哀想になってくる。恐れから出た言葉。何を恐れていたのだろう?

未熟な両親であるけれど、頑張ってくれた。今ある恵の土台には親のお陰がある。